2006-04-08

2006/4/8(Sat) 春酒に 染まりし色の 猩猩袴

  どうしてこれがショウジョウバカマという名前なのか。お能に「猩猩」という演目があり、オランウータンのような唐土の霊獣が酒に浮かれて舞を舞う話があります。しかし、この花は実際のところ紫色に近いピンクで、その葉は地面にへばりついてとてもそのような軽やかな感じには見えません。

 春先、まだ花が少ない時期に群生しているのを遠くから見ると、ピンクの丸い形がなんともかわいい風情。お客様に「あれはなんという花ですか?」とよく訊ねられます。「ショウジョウバカマです」と答えるとほとんどの方は「ああ、あれがそうですか」というぐらい名前だけはよく知られているようです。

 水芭蕉の歌の「遥かなオゼット」ではありませんが、私は長いこと「少女袴」だとばかり思っていました。



2006-04-05

2006/4/5(Wed) イナバウアー かと思うような かたくりの花

  お座敷の前のかたくりが咲き始めました。うす紫の可憐な花びらを大きく反り返らせる姿はまるで…そうです、荒川静香選手みたいですね。黄色のもあります。高井家の庭のかたくりも場所によって開花時期が様々ですが、日光で群生の名所と言われる所は少し日陰なので4月中旬あたり。ちょうど二荒山神社の弥生祭の頃でしょうか。はかなげでかよわい風情。私と大違い。

 毎年この季節は、春になった歓びと新年度のめまぐるしい変化で大人も子供もそわそわしているうちにあっという間に過ぎてしまいます。時々心を落ちつけて、お陽さまの温かさを感じたり、土が目覚める臭いを嗅いだりしてみませんか?



2006-04-04

2006/4/4(Tue) お馬車行く 近衛隊列 御用邸正門通り

日光田母沢御用邸正門です。皆さんが国道から入られるのは本来は通用門。高井家のある通りは今でこそ裏通りになってしまいましたが、もとは本町通りといって御用邸に通じるメイン・ストリートで、大正天皇の行幸啓の折には日光で一番間近に行列を見られる幅員の狭い沿道でした。

今の石田屋さん(日光甚五郎煎餅本店)の前は急勾配の坂だった為、いっせいに騎馬に拍車がかかると、蹄の音も高く、たてがみは風になびき、朱色に菊の御紋章も鮮やかに天皇旗は翻り、それは最高のドラマであったと聞きます。

今、御用邸正門通りをもう少し見直そうという声が地元の女性たちから上がり始めました。



2006-04-02

2006/4/2(Sun) 大名も 頭を垂れる 強飯式

  「七十五杯、残さず食べろ!」と山伏姿の僧侶が大杯のお酒や三升の山盛りのご飯をもって大名役の受者に迫ります。この強飯式は有名ですが、案外地元の人も実際に見たことのある人は少ないかもしれません。私も初めて見たときは、その迫力にびっくりしました。http://www.rinnoji.or.jp/ちょっと写真を拝借。

 その強飯の儀の面白さもさることながら、前半の護摩焚きの儀式が厳粛で素晴らしいです。三仏堂の奥で一山の僧侶が唱える声明と暗闇の護摩の炎がとても神秘的です。

 おまけに式の後「縁起がらまき」といってお堂の欄干から福を撒きます。何年か前、うちにホームステイしていたカナダの留学生はビデオデッキが当たりました!姪はカラーテレビ!毎年4月2日強飯式のがらまきは節分より穴場です。これは内緒話。



2006-04-01

2006/4/1(Sat) 木霊聴く 法華三昧 開山会

  4月1日は日光山開山の祖、勝道上人のお命日です。滝の尾道入り口近い開山堂にはお上人の坐像が安置され、この日は輪王寺一山の僧侶や信者さんが集まり法要が執り行われます。

 勝道上人は日光という未開の聖地を開き、782年ついに男体山頂上を極めました。それ以来、男体山をご神体として神仏習合の時代が、明治の神仏分離令が出されるまで続きました。

 現代の世界紛争が宗教的な対立などから引き起こされていることを考えると、日光山の歴史と徳川幕府の平和から何か解決のヒントが得られないでしょうか?深山の精霊たちが僧侶の読経に耳を澄ましているように思えます。



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