2006-06-13

2006/6/13(Tue) 「世々をへて 結ぶ契りの 末なれや この滝の尾の たきの白糸」

う~む。どうも見事だと思ったら、昔の偉い方の歌です。文明18年(1486)、京都聖護院のご門主様が滝尾神社に参詣した時に詠みました。東照宮の裏にある私の大好きな行者道半ばの「白糸の滝」です。最近は森が切り開かれて昔のうっそうとした神秘さが失われつつあります。

 この滝のそばにはこの歌碑とともにもう1つのモニュメントがあります。「ジョン・K・エマーソン。日本の友」。第2次世界大戦前後駐日公使として日光に滞在し、帰国後書いた回顧録の題名も「日本の糸」とつけたぐらいこの地を愛していました。きっと散策しながらこの滝を眺めたのでしょう。日本人よりもこの静寂を理解していたのですね。写真には写っていませんが、今この滝の向かいは駐車場。歌が心に沁みます。




2006-06-12

2006/6/12(Mon) 朝もやは 山の小人が ご飯炊く

  あー、今日も夜が明けて忙しい一日が始まる。早朝、窓を開けて山を見上げると木々の間からたなびく朝もや!最近超過密スケジュールで窓の外を見る余裕もありませんでした。そうか、小人さん達も元気で頑張っているんだなー。

 子供たちが幼稚園の頃、先生が「お山から白い煙が上る時は、山の小人さんがご飯炊いているんだよー」と教えてくれました。子供らは早起きをするとそれが見られるのを楽しみにしていましたが、大きくなるにつれ夜更かしをするようになり小人さんのことも忘れてしまったようです。

 6月のこの時期にこの朝もやを見ると、先代が亡くなった朝、いつもと同じように小人さんがご飯を炊いていることにひとり感動したことを思い出します。



2006-06-08

2006/6/8(Thu) 朝露をまとう ニッコウキスゲ 午前5時

  久しぶりに徹夜をしました。東の空が藍色から白々とあける頃、庭ではたくさんの花が目を覚まし始めます。ニッコウキスゲは一日花と言われ、毎日咲いては翌日は次の花にバトンタッチ。キスゲさん、朝露に濡れてとても美しいです。ちょっとクリックして拡大してみてください。今日最初にお会いしたのがおかみのたかみですね。一期一会そのものですなー。

 ニッコウキスゲといえば霧降高原が有名ですが、今年は鹿さんに食べられなかったでしょうか…でも、青々とした葉っぱや可愛い花芽をよく見ると確かに旨そうな。そういえば、この黄色はマンゴープリンの色ですね。



2006-06-06

2006/6/6(Tue) 時を経て 今も明治の サムライハウス

本町の国道沿いに古い一軒の日本家屋があります。竹垣の中の風情ある庭園と山の水が落ちる滝の音。木造2階建てのその家こそ金谷ホテル発祥の地となった「金谷カッテージ・イン」サムライハウスです。江戸時代に武家の屋敷として建てられ、明治の頃日光を訪れた外国人のために宿として提供したのが金谷ホテルの創始者、金谷善一郎さんでした。

イギリス人の女性探検家イザベラ・バードはその紀行文の中でこの家を「目を楽しませないものはひとつとしてない」というくらい絶賛しています。内部は外国人たちを受け入れた当時のままに保存され、明治の頃の日光の空気が今でも漂っているかのようです。日光はなにげなく歴史が身近なところがすごいですね。



2006-06-05

2006/6/5(Mon) 風までも 水色に染む 丁子草

 もうこうなったら連日「高井家庭の花シリーズです!」というくらい花が次々咲いています。この水色の花の名は「丁子草」。茶花としていただいたものが、いつの間にか増えました。花弁の形が香辛料の丁子に似ているのでしょうか?

 でも、私は勝手に帳尻草と呼んでいます。地味~な葉っぱが出まして、つぼみも地味。でも咲きそろう時はきれいなブルーで、ちょうど初夏の風にぴったり。そうです、人生が終盤になる頃、帳尻が合うように報われる花なのです!子供の時、ぬりえをすると決まってこんな水色のドレスを着たお姫様でした。水色は幸せになれそうな色ですよね。学名「タマノコシチョウジリソウ」なんちゃて。



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