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2017-05-25

2017/5/25(Thu) 瀧尾稲荷神社の大祭です。

今日、5月25日は瀧尾稲荷神社の大祭です。九代目もしっとりと濡れた石畳を登って参列してきました。

夕方から二荒山神社客殿で、直会も兼ねて巴会の花見会が行われます。

毎年、お誕生日にお赤飯をいただける❣️

というありがたさをかみしめてます💖







2014-07-15

2014/7/15(Tue) 夏だキュウリだ八坂祭

 13日。西町では八坂祭が行われました。

今年の当番町は大工町さん。

残念なことに、高井家のある本町は過疎化のため神輿の担ぎ手もなく、しばらくお神輿を見ていません。

このお祭りはお天王さんと呼ばれて、地域の夏の行事のひとつです。お天王さんが来ると、子供たちの頭の中は夏休みのことでいっぱいでした。

大女将は、「昔はお天王さんが来ないと胡瓜は食べられなかったんだよ」と言います。

玄関にお供え物をして置くと、お客様や道行く人が不思議そうに覗いていきます。

こうした風景もだんだん少なくなって、なんだかさみしい限りですね。



2013-07-30

2013/7/30(Tue) お天王様

 7月の半ばにお天王様(八坂祭)の行事がありました。

今年は下本町が当番なので、九代目は朝から町内のお役目に。

大女将いわく、昔々、疫病などが流行る夏に八坂神社にお参りして、その厄払いをお願いしたそうです。

高井家でも玄関にお供え物。胡瓜は必ず忘れずに。



2012-07-09

2012/7/9(Mon) 虫も来る お天王さんの お供えです

 昨日は西町の八坂祭でした。今年の当番町は隣の安川町。御神輿も出ました。本町は来年だそうです。

何年か前まで、本町も小さいながら神輿が担がれ、ハッピを着た子供たちが「お賽銭、おーくれー」と言って町内各戸を廻ったものです。長男太郎も生後半年でハッピを着せられていたっけ…。今では、若衆不足と小子化で本町は神輿は出せません。

元来、疫病の流行る季節に無病息災の願を八坂神社にお祈りしたそうです。

大女将が玄関にお供えの膳をしつらえました。「昔はお天王さん(八坂祭)がくるまで胡瓜は食べられなかったんだよ。今じゃ一年中食べられるけどね」と言います。

写真には写っていませんが、このお膳の下にデッカイ昆虫が!

お向かいの床屋さんが教えてくれましたが、シロスジカミキリムシでした。



2009-07-16

2009/7/16(Thu) いにしえは 胡瓜解禁 お天王さん

  先日、町内で八坂祭が行われました。以前は神輿も出て、法被姿の男衆も見られたのですが、町内も過疎化で神事だけとなりました。その昔、夏になると疫病が流行ったので、その災いを沈めるために八坂大神様にお願いしたそうです。

 高井家では、毎年、玄関先にお天王さんにお供えを飾ります。胡瓜と、何故か自家製きんつば。

昔は、八坂祭を過ぎなくては胡瓜を食べられなかったそうで、今のように一年中の野菜ではなかったのですね。

 でも、きんつばは、何故なんだろう…?



2007-05-31

2007/5/31(Thu) 滝の尾に 神が降りたる 5月かな

  5月25日は滝尾神社のお祭でした。続いて28日は、二荒霊泉に日本酒の出来を報告し感謝する報醸祭が行われました。滝尾神社の傍らには「酒の泉」という清水がこんこんと湧き出る泉があります。男体山の雪どけ水が山の中を伝わって地上に出るまで、いったいどのくらいの時間が流れているのでしょうか。

 今年の春は忙しい忙しいと言っているうちに、こごみはすっかり伸びてしまって、山椒の木の芽も大きくなってしまいました。明日から6月です。カツオもろくに楽しんでいないというのに、山の若葉はもうフサフサです!

 自然の生命をはぐくむ時間に比べて、人間の自分勝手な時間のなんと愚かなことか…



2007-04-01

2007/4/1(Sun) 開山の 祖をしのびつつ 古道行く

  今日は4月1日。「開山会(かいざんえ)」です。奈良時代766年に日光山を開山した勝道上人の命日です。東照宮裏の古道・滝尾道入り口近くの開山堂で法要が毎年執り行われます。そのお堂に裏には勝道上人のお墓があり、苔に包まれてひっそりと静かに眠っています。輪王寺一山の僧侶の鮮やかな僧衣が、まだ枯れ木の深山に美しく、読経の声も厳かに響きわたりました。

 うららかな春の木漏れ日を浴びながら、滝尾道の散策はいかがでしょうか。神橋から滝尾神社まで片道1時間ぐらい。だれもいない史跡めぐりもまた格別です。

 明日はいよいよ強飯式です。



2006-06-13

2006/6/13(Tue) 「世々をへて 結ぶ契りの 末なれや この滝の尾の たきの白糸」

う~む。どうも見事だと思ったら、昔の偉い方の歌です。文明18年(1486)、京都聖護院のご門主様が滝尾神社に参詣した時に詠みました。東照宮の裏にある私の大好きな行者道半ばの「白糸の滝」です。最近は森が切り開かれて昔のうっそうとした神秘さが失われつつあります。

 この滝のそばにはこの歌碑とともにもう1つのモニュメントがあります。「ジョン・K・エマーソン。日本の友」。第2次世界大戦前後駐日公使として日光に滞在し、帰国後書いた回顧録の題名も「日本の糸」とつけたぐらいこの地を愛していました。きっと散策しながらこの滝を眺めたのでしょう。日本人よりもこの静寂を理解していたのですね。写真には写っていませんが、今この滝の向かいは駐車場。歌が心に沁みます。




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