久しぶりの雨の後、縁側先の一人静の花も急にニョキニョキと。
それにしてもですね、一人ぼっちで咲いている一人静って見たことない。山を散歩していても、ほとんど群生ですね。
うーむ。そうかー。群集の中の孤独、ってやつかー…。わかるような気も、わからないような気も。
久しぶりの雨の後、縁側先の一人静の花も急にニョキニョキと。
それにしてもですね、一人ぼっちで咲いている一人静って見たことない。山を散歩していても、ほとんど群生ですね。
うーむ。そうかー。群集の中の孤独、ってやつかー…。わかるような気も、わからないような気も。
青い空。白い蔵。そして降りそそぐ紅八重枝垂れ。高井家の桜がようやく今日開花しました!
そして、思い出すのは、この桜の樹の下で、いつも昼寝をしていたゴールデン・レトリーバーのラッキー君のこと。
彼がいないお花見は、もうこれで2回目となってしまいました。「ワンちゃんは、お元気ですか?」お客様に聞かれるたび、胸がキュンとなります。
これは白花エンレイ草かな?茶花と一緒に、築山の木陰で咲き始めました。名前は「延齢草」と縁起が良いのですが、しっかし地味な花だなー…。どちらかというと葉っぱのほうが存在感。
でもね、この渋さがなんとも言えない山野草の大人の雰囲気。やっぱり世の中、可愛いだけじゃやっていけませんよね(笑)。
なぜこの名前が付いたのか、ふと気になりました。
池の周りのカタクリが満開です。寒い朝晩は閉じていて、太陽が出ると、薄紫の花弁が反り返ってイナバウアーのよう。うつむいて咲くその風情は、なんとなくもの想いにふけっているようにも見えます。
毎年この時期になると、新しい生活のスタートがあちこちで聞かれます。おかみのたかみも、じーっと花を見つめているうちに…。何年もずーっと同じ仕事を続けながら、ふと、これで良いのだろうか、と自問自答しながら、慣れに安心しないように気をひきしめてがんばらなくちゃ、と思うのであります。
そんなこの頃ですが、今日は、結納のお客様や、フランスからのお客様がお見えになり、とても華やいだ一日でした。
きょう4月2日はいよいよ強飯式。夕べは雪も降りました!
山盛りの御飯を、山伏が大名に食べろと強いる様子を描いたこの絵は、高井家に伝わる掛け軸の一部。慶応四年、すなわち明治元年。島君龍という人の号があります。強飯の儀の口上も書いてあるのですが、ユーモラスな風刺のタッチ。昔の日光山の勢いは大名をもひれ伏させたのでしょうか。
現在も、輪王寺三仏堂において、古式ゆかしく伝承されています。神秘的な灯明のもと、祈りの護摩が焚かれるさまは、日光のルーツが日本を代表する神仏習合の聖地であったことを思い起こさせます。
4月1日は開山会でした。奈良時代に日光山を開いた勝道上人の命日です。行者道の始点ちかい開山堂に、輪王寺の僧侶、信仰の方達が参列して静かに上人様の遺徳をしのびます。
開山堂すぐそばの仏岩。見上げるような杉木立の中で、そこだけ明るい春の陽が注ぐ仏像群。日光の神秘的な歴史を感じさせます。
さぁ、これからが日光の春本番!といいたいところですが、風が冷たいですねー。
今年は暖冬だったせいか、春の訪れを早とちりしたように、桜の開花をせかすような人間たち。高井家の庭の一番乗りはいつも水芭蕉君なのですが、なぜか、今年は、遅い。小さい。本当にやきもき。
こりゃー、今年はおかしいぞ、と思っていたら、去年より10日ほど遅れて、やっと咲き始めました。たぶん、寒の戻りがくることを知っていたのでしょうね。えらいな。自然は。
今年本当の一番乗り。池のほとりのザゼンソウは、じつは暮れのうちから芽を出して、2月頃から咲いていたのです。冬ごもりのおかみが不精をして、写真を撮らなかっただけ。m(__)m
暖かくなったり、寒さがぶり返したり、一喜一憂する人間をよそに、じーっと座禅を組んでおりまして。さすが、お悟りをひらいた方は違いますな…。でもね、最近は、ちょっとくたびれて姿勢が悪くなってきたみたい。(笑)