2015-04-22

2015/4/22(Wed) 春爛漫お名残惜しゅうございます

 今、日光市内では桜回遊のイベントが盛んです。

東町よりひと足遅れて西町にも桜がやってきました。

高井家の庭の紅八重枝垂れ桜も満開です。

ずっとお天気が悪かったので、つぼみから八分までのいい咲き加減の見頃が残念でしたが、久しぶりの晴れにやっと間に合いました。

昼の桜を見上げても美しいのですが、夜桜はなおさら。

お客様がお帰りになったあと、外灯に照らされた植え込みの新芽の緑、宵闇に浮かび上がる枝垂れ桜、なんともいえない美しさです。

大女将が縁側に腰掛けて、

「この世がこんなに美しいなんて。若い頃はわからなかったけど、なんだかお名残惜しいねぇ」

とひとこと。

ほんとだね、お母さん。

私もこの頃つくづくそう思います。

咲いた時からもう散る心配の桜。

もう会えない人のことを思い出してせつなくなる気持ちに似ています。



2015-04-18

2015/4/18(Sat) 私も ここにいるよと すみれ草

みんながお祭りに夢中になっている二荒山神社の境内に、人知れずそっと咲いている小さなすみれの花。

見物の人たちに踏まれないかと心配しました。

今日の日を待っていたかのような綺麗なすみれ色。

本当に小さかったですよ。

来年もまた会えるかな。



2015/4/18(Sat) 神様に お囃子奉納 神明廻り

 4月17日。弥生祭例祭午後。

二荒山神社の拝殿の奥の神様にもっとも近づいてお囃子を奉納します。

普段は社殿をつないでいる渡り廊下を上げて、ぐるっと拝殿を回ります。

お手伝いのため客殿にいたために、思いがけず裏の方から見物することができました。

羽織袴姿に山高帽をかぶった各町内の重鎮が、宮司さんにご挨拶していく古式ゆかしい様子は、なんとも言えない日本の伝統を感じます。

裃に日光下駄の若衆(わかいし)達も、腰上げをした着物姿の男の子達もまことにクールでした!



2015-04-17

2015/4/17(Fri) お囃子の 音や灯りや 宵祭り

4月16日の夜。

二荒山神社の弥生祭の前夜。各町内から繰り出された花屋体が町の夕暮れに灯りをともし、お囃子の音があちこちから響いてきました。

高井家のある下本町は、何年か前から過疎化のため屋体を出せなくなってしまいましたが、西町4ヶ町の花屋体が、店のすぐ近くの四ツ辻で顔合わせをします。

お座敷のお客様もお囃子の響きにつられて見物に。

美しく着飾った少女たちが奏でる笛や太鼓・鐘の音は、やっとおとずれた日光の春の宵を彩り、なんとも言えない夢の中のひとコマのよう。

かつては賑わった下本町の通り、今は昔の子供たちの姿を思い出してしまうせいでしょうか。



2015/4/17(Fri) 初鳴きに 合わせてアケビの 花が咲く

 4月14日。

池の方からククククという蛙の声が。

夜になると、玉を転がすようなモリアオガエルの鳴き声が聞こえてきました。

そうか。

今年の初鳴きは4月14日かー。

毎年4月10日頃に鳴き始めるのですが、ちょうど時ならぬ雪でびっくりして引っ込んでしまったのかもしれません。

次の日、暖かになった庭で、アケビの花が咲いているのに気づきました。

よかった!まだ寒い頃、枝を掃除してツルを巻き直した新芽を心配していましたが、たくさん花をつけました。

庭の花や生き物たち。

よく忘れないで季節を知らせてくれることに感謝。



2015-04-09

2015/4/9(Thu) 地球儀に 日本のかたち たずねれば

この白い地球儀は、茶道で使う水指です。

先日、金谷ホテル歴史館のオープンの添え釜のお手伝いをした時に、お道具をいろいろ考えました。

プレオープンの日、ヘボン博士に関する大西教授の講演を聞いて、幕末に海を越えてはるばる日本に来たアメリカ人宣教師のご苦労から、ヒントを得て、選びました。

実は、この地球儀は今年の勅題の茶道具のひとつで、「本」の字に日本をあてて地球儀にした面白いものです。

ヘボン博士の助言で、日本で最初に外国人のための宿を開いた金谷ホテルは、日本のホスピタリティーの原点。

私たちは子供の時から日本が真ん中に位置する世界地図で教育を受けてきましたが、こうして改めて地球を見ると、アジア大陸の端っこにちょこんとくっついています。

水指の正面を日本にすると、お客様から見えるのは広い海。

よくまあ、あの時代にこの太平洋を越えて・・・。

日本のかたちをしみじみ眺めながらお茶をたてました。



2015/4/9(Thu) 法華経に 耳を澄ませば 花まつり

 4月8日。花まつり。お釈迦様の誕生日です。

2階の広間に掛けてあるこの書は、大正十一年四月八日に

会津の衆議院議員中野寅吉先生の筆になります。

いつもお客様に聞かれて、なんとなく解説は出来ましたが、正確な読みはできなくて困っていたところ、ご祝儀でご来店された学芸員の方が詳しい解読をしてくださいました。


「礼讃

 栗山蕎麦

 苦離山の

 楚婆(そば)と聞くさえ

 嬉しきに

 名も高井屋に

 法華経の声

 (以下、漢文と思われます)

 時に大正十一年(一九二二)四月八日

 釈尊降誕の佳辰なり。

 予と愚息一郎日光東照宮廟に

 詣で、帰途高井屋に少憩す。

 偶(たまたま)黄鳥(※)

 一囀(いってん)、渓谷を起こす。すなわち

 この作あり。

 会津選出衆議院議員

   中野寅吉識(印)」


そして、さらにわかりやすく、現代文も送ってくださいました。


「(解説)

会津の衆院議員中野寅吉が子息一郎と高井屋(家)に立ち寄り、書いた書です。 ちょうど四月八日という釈迦の誕生日にちなみ、栗山を『苦離山(苦が離れる山)』、ウグイスの鳴き声を法華経にたとえたりしています。」


と教えてくださいました。

当時、栗山蕎麦の看板を掲げて蕎麦屋を商っていた高井屋(当時の屋号)には、多くの文人墨客が訪れましたが、店主はこの書をとても大切にして額装したそうです。

今年の4月8日は時ならぬ雪。

昨日まで鳴いていた鶯も静かです。

毎年、この日になると庭の梅の木に来た鶯の声を聞きながら、

まったく同じ情景に胸を打たれていました。

時代は変わっても、変わらぬお客様の粋なはからい。

誠にありがとうございます。

これから毎年、花まつりに鶯の声を聞くたび感謝申し上げます。



2015/4/9(Thu) 花に雪 雅に響く 謡の会

4月8日の朝。

昨日までの春の庭とうって変わって雪景色。

せっかく満開になったヤシオツツジもカタクリも雪に包まれ、う~、寒そう!

たった一日でこうも違うものでしょうか。

だんだん上手になってきた鶯君の声も聞こえません。

冬タイヤの交換を先延ばしにしておいてよかった。

やはり、日光は弥生祭まで油断ができませんね。

でも、鳥と花たちには可愛そうですが、思いがけない雪の庭の美しいこと。

この日は御用邸で、栃木県謡曲連盟主催「春の日光謡曲大会」が開かれました。

観世流・宝生流・喜多流の各派が一堂に会し、日頃の成果をお披露目。

九代目も観世流で参加。

そのあと帰宅して、お仲間と3時半頃から反省会。

といっても、正しくは雪見酒でした!



2015-04-06

2015/4/6(Mon) これやこの ヤシオツツジに 目を覚ます

高井家の春の庭本番。

すっかり霜柱も消え、雪の心配もなくなるころ高井家の庭に春がやってきます。

今年のヤシオツツジは早かったー。

例年より10日早いかな。

いつもは二荒山神社の弥生祭の頃に咲くのですが、今年は町中でもすっかり咲いています。

お祭りのお囃子の音が聞こえてくる季節。

初鰹も恋しい季節。

子供たちの新学期の準備に忙しい季節。

様々な思い出をのせて、あたたかな風が吹いてきます。



2015/4/6(Mon) 今年もごきげんショウジョウバカマ

高井家の庭。春の使者その3。

ショウジョウバカマが満開です。

しかも庭のあちこちに!

なんだか今年はいろんな花の株が増えています。

去年に比べて雪が少なかったせいか、庭の花たちも伸び伸びしています。

お花も咲き始めは初々しくて色もきれい。

そして集まると賑やか!

まるでお年頃の娘さんのようですね。



2015/4/6(Mon) 水芭蕉の 英語の名前は なんでしょう?

 高井家の庭。春の使者その2。

水芭蕉も三月末から咲き始めました。

今日は外国のお客様がいらっしゃるので、事前に庭の花の名前を予習しなくちゃ、というこで辞書。

水芭蕉…。Water Lily でどうかな?

水辺に咲く清楚な白い花だもんね。

あった!あれ?

……Skunk Cabbage。

スカンクキャベツ?

あんまりだなー。本当?



2015/4/6(Mon) 踏まれても 可憐にカタクリ お座敷前

 高井家の庭。春の使者その1。

今年はカタクリの株が増えて、どんどんお座敷の前まで行進中で、可憐な姿を見せてくれています。

でも、花が目立つまでは小さな芽なので、雪解けや霜解けの直後はわからなくて踏んづけたりして…。

ごめんね。

と謝ると、いいえ大丈夫です、と頷いているような姿です。



2015/4/6(Mon) 頭垂れう やうやしくも コツがある

 強飯式の掛け軸の続きです。

奈良時代に勝道上人が日光山を開いて盛んになった山伏の修行。

御本尊のお供えを人々に分かち与えたことが起源と伝えられています。

三升の山盛りご飯を「七十五杯残さず頂戴しろ!」と責めながら差し出す山伏に、裃姿の頂戴人は頭を下げて、そのご飯を高くおしいただく姿は迫力満点。

実は、この椀はすごく重い上に、口上が長く続くのでますます重くなり、腕が大変。

九代目も何年か前頂戴人を努めました。

先代から、亡くなる前に内緒で、

「ご飯を掲げながら肘を畳につければ楽だぞ」

と聞いていたので大丈夫だったそうです。

しかし、お腹がつかえて前に伏せることができない人はどうだったのでしょうか。

やはり、何事も腹八分目ですね。

強飯式が終わると、さあ、これで日光にも本当の春が来ます。



2015/4/6(Mon) 強飯式 頂戴人の 心得は

4月2日。輪王寺さんで強飯の儀が執り行われました。

これは高井家に伝わる慶応四年の掛け軸。

この儀式の絵の上に、口上が書かれています。

戊辰二月とありますね。

そうかー。

明治維新の年ですね。

戊辰戦争では、日光が旧幕府軍対新政府軍の戦火の危機にあったのはたしか四月頃。

とすると、その直前の二月にこの軸が書かれたのですね。

まさに江戸と明治の境目の日光山。

毎年、この軸をかける度、歴史がリアルに感じられます。



2015-04-05

2015/4/5(Sun) ヘボン博士 200歳 おめでとうございます

 3月13日。ヘボン博士の生誕200年。

ご近所の金谷ホテル発祥の地、侍屋敷が「金谷ホテル歴史館」として公開される2015年は、ちょうどヘボン博士が生まれてから200年にあたります。

明治初期に、金谷善一郎氏が医師で宣教師であるヘボン博士の勧めで外国人専用ホテルを開業したのが始まりだそうです。

この日は、明治学院大学の大西春樹教授の講演もありました。

ヘボン式ローマ字で有名な博士は、本当はヘップバーンHepburnという綴りなのですが、日本の人々がヘボンさんと呼ぶのを気にいって、自ら漢字で「平文」と書いたとか。

東京からヘボン倶楽部の方々も駆けつけて、歴史館とレストランのプレオープンも兼ねて、皆でお祝いしました。

記念すべき年に、日光の国際化の原点となる金谷ホテルの歴史館がオープン。

本当に感慨深いものです。




2015/4/5(Sun) 山内の 森の中の お教室

 3月28日。「トレッドソン別邸のため」

ここは、東照宮社務所の裏にある別荘。

この別荘は中禅寺湖畔にあるイタリア大使館別荘と同じアメリカ人建築家アントニン・レーモンドによって設計され、1931年に完成しました。

現在はアメリカ人・日本人の御夫妻が所有する「イーストマンさんの家」としてひっそりと知る人ぞ知る別荘です。

長い間、日光の国際化に尽力し、日光国際交流協会I-FANCY会長を務め、高井家も家族でお世話になりました。

今はアメリカにお帰りになってしまいましたが、お嬢さんがおふたりともアーティストをしていらっしゃいます。

今回は、次女のアンさんが中心となってこのお屋敷で展覧会が開かれました。

http://www.troedssonvilla.org/

久しぶりにお邪魔してみると、懐かしいテーブルはそのまま。

ここで、おかみのたかみは何年も英語を教えていただきました。

今では、I-FANCYの事務局長までやったとは思えないくらい英語を忘れてしまい、お恥ずかしい限り。

レッスン中テーブル越しに見える窓の向こうは、緑の森。

贅沢な時間・空間でした。

思い出はいつも、過ぎてからその価値に気づくのですね。



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