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2023-10-07

2023/10/7(Sat) 栃木県立博物館にて

 10月7日(土)より、栃木県立博物館にて秋の企画展「近代皇室と栃木~とちぎ御用邸ものがたり~」が開催されます。

皇室と縁深い栃木県。日光には大正天皇のご静養所として造営された田母沢御用邸があります。

田母沢御用邸のすぐ近くにある高井家は、大正時代には「東宮職第参拾號」の門鑑を携えて打ちたての蕎麦をお届けしておりました。その関係から、田母沢御用邸にゆかりのある高井家の所蔵品も展示されております。ぜひおでかけください。

At Tochigi Prefectural Museum, the exhibition "Modern Imperial Family and Tochigi - The Story of the Imperial Villa in Tochigi" is held from 7 October (Sat).

Tochigi Prefecture has close ties with the Imperial Family. In Nikko, there is the Tamozawa Imperial Villa, which was built as a retreat for the Taisho Emperor.

Takaiya, located close to the Tamozawa Imperial Villa, used to deliver freshly made buckwheat noodles to the Emperor in the Taisho era. In connection with this, the collection of Takaiya is also on display. 

Au musée préfectoral de Tochigi, l'exposition "La famille impériale moderne et Tochigi - L'histoire de la villa impériale de Tochigi" se tient à partir du 7 octobre (samedi).

La préfecture de Tochigi entretient des liens étroits avec la famille impériale. À Nikko, la villa impériale Tamozawa a été construite pour servir de retraite à l'empereur Taisho.

Takaiya, situé à proximité de la villa impériale Tamozawa, livrait des nouilles au sarrasin fraîchement préparées à l'empereur à l'époque Taisho. Dans ce contexte, la collection de Takaiya est également exposée. 

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2021-05-31

2021/5/31(Mon) 「隠居 うわさわ」さん

今日は久々の休日。

前々から憧れていた上澤梅太郎商店さんのお食事処

「隠居 うわさわ」さん

の朝食に行って参りました。

とても感動して、勉強になりました。

上澤梅太郎商店さんは、歴史のあるお店です。

家に帰って、明治四十年発行の商業便覧を開いてみると、

偶然、上澤商店さんと高井屋の広告が見開きで隣り合わせに載っていました。

近頃はコロナの影響で、飲食業は大変な時期ですが、

こうした心のこもった食事で

あらためて「食」の大切さに気づかされます。

「よしっ、また、頑張ろう!」

と前向きな気持ちになった朝でした。







2019-10-01

2019/10/1(Tue) 尋ねれば 蕎麦屋の道は 遥かなり

 某テレビの取材の下見がありました。

なんでも高井家の昔の蕎麦屋時代の話を聞きたいとのこと。

江戸時代からの「栗山蕎麦 高井屋」のことですね。

江戸時代の写真や記録はありませんが、明治以降の文献などに登場する話をしました。

当人は無頓着なので、ほとんどはお客様が教えてくださったり、コピーをくださったりしたものですが、読み返してみると畏れ多い評判だったようで…

大正の田山花袋の書いた記事に

「入町にある高井屋の蕎麦で、栗山蕎麦といって昔から有名だが…(中略)、ここで3、40分待って、山内流に打って貰うと、何処に行って食った蕎麦より旨い。東京で名物の蕎麦は無論の事、信州更科でも、野尻でも、戸隠でも、何処の蕎麦でも此処には及ばない…」

とあるそうです。

こんなことを読んだら、もう怖くて恐ろしくておいそれとは真似事の蕎麦打ちなど宣伝できないよ、と九代目は言います。

そんなわけで、今は細々と、悶々と、悩みながらそばを打っているわけですが、きっと収録され放映されたりしたら、期待されちゃうだろうなぁ…。

今でも時々蕎麦好きな方が訪ねていらっしゃることも。

蕎麦包丁だけは100年以上前の立派なものを使っているんですけど、軽々しく昔話できませんよね。

播磨屋の初代中村吉右衛門が日光を訪れ、高井屋の蕎麦を食べたくて残した一首「夏草のそば屋の道を尋ねけり」に答えられるでしょうか。



2015-11-11

2015/11/11(Wed) 蕎麦の日です。

今日、11月11日は、高井家では蕎麦の日です。

ひと月ほど前からお座敷の床の間に、江戸時代の蕎麦の出前の注文書の掛け軸を下げて、先祖の商いに思いを馳せます。

ある学芸員のお客様に解読していただきました。

御覚

一、そば 五升

       上粉・中粉の内

右の通り今七時までに

妙道院まで持たせ

遣わされ候よう頼み入り候、巳上。

十一月十一日   浄土院内浄輪房

高井家大人

ゆでて遣わさるべく候。

妙道院は、明治初年に消失していることから、この注文書は江戸時代のものということになります。

現在でもある浄土院さん。その中にあった浄輪房のお坊様が、今で言えば夕方の4時頃に、高井家近くの御用邸そばの妙道院まで、ゆでて届けてくだされ、というデリバリーオーダーです。

好みの粉の配合まで書いてあるところがなんともリアル。

きっと、お坊様同士で、秋の夕暮れ、つもるお話でもあったのでしょうか。

今日のお客様にもお蕎麦をお出ししました。

一組はベトナムからのお客様。

初めての蕎麦体験を喜ばれ、ラッキーでした!と気に入って下さいました。

江戸時代のご先祖が聞いたら、さぞびっくりしたことでしょう!



2015-04-09

2015/4/9(Thu) 法華経に 耳を澄ませば 花まつり

 4月8日。花まつり。お釈迦様の誕生日です。

2階の広間に掛けてあるこの書は、大正十一年四月八日に

会津の衆議院議員中野寅吉先生の筆になります。

いつもお客様に聞かれて、なんとなく解説は出来ましたが、正確な読みはできなくて困っていたところ、ご祝儀でご来店された学芸員の方が詳しい解読をしてくださいました。


「礼讃

 栗山蕎麦

 苦離山の

 楚婆(そば)と聞くさえ

 嬉しきに

 名も高井屋に

 法華経の声

 (以下、漢文と思われます)

 時に大正十一年(一九二二)四月八日

 釈尊降誕の佳辰なり。

 予と愚息一郎日光東照宮廟に

 詣で、帰途高井屋に少憩す。

 偶(たまたま)黄鳥(※)

 一囀(いってん)、渓谷を起こす。すなわち

 この作あり。

 会津選出衆議院議員

   中野寅吉識(印)」


そして、さらにわかりやすく、現代文も送ってくださいました。


「(解説)

会津の衆院議員中野寅吉が子息一郎と高井屋(家)に立ち寄り、書いた書です。 ちょうど四月八日という釈迦の誕生日にちなみ、栗山を『苦離山(苦が離れる山)』、ウグイスの鳴き声を法華経にたとえたりしています。」


と教えてくださいました。

当時、栗山蕎麦の看板を掲げて蕎麦屋を商っていた高井屋(当時の屋号)には、多くの文人墨客が訪れましたが、店主はこの書をとても大切にして額装したそうです。

今年の4月8日は時ならぬ雪。

昨日まで鳴いていた鶯も静かです。

毎年、この日になると庭の梅の木に来た鶯の声を聞きながら、

まったく同じ情景に胸を打たれていました。

時代は変わっても、変わらぬお客様の粋なはからい。

誠にありがとうございます。

これから毎年、花まつりに鶯の声を聞くたび感謝申し上げます。



2012-11-17

2012/11/17(Sat) いにしえの 今月今夜の蕎麦は この蕎麦

 この掛け軸は江戸の頃の蕎麦の出前の注文書だそうです。

浄輪坊というところのお坊さんからの手紙で、

「そば五升、今夜七時に妙度院まで届けて下さい。十一月十一日」と書いてあります。

ちょうど先週11月11日に謡の会があり、九代目はこの掛け軸を描け、蕎麦を打ち、仲間の皆さんに召し上がっていただきました。

今月今夜。いいですねー!

それにしても昔の出前は、あたりまえですが電話じゃなくて小僧さんが文を届けたんですね~。リアルです。

一瞬、昔の時が流れたようなあたたかさを感じました。



2010-11-24

2010/11/24(Wed) 山三つ 頭合わせて カモンかな

  これは高井家の家紋です。江戸時代、輪王寺の宮様から拝命した家紋です。山という字が頭を合わせて三つ。

 代々、高井山三を襲名。なんだか「三人寄れば文殊の知恵」のようです。上から見たスクラム。どうやったらお客様を呼べるかな、と相談しているように見えます。

 とても変わった紋なので家紋帖一覧にもありません。新しい呉服屋さんに紋入れをお願いする時は、このコピーを見せます。実はこれは高井家のお仏壇の彫り物の写真。ご先祖様ごめんなさい。m(__)m



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