2019-10-01

2019/10/1(Tue) 尋ねれば 蕎麦屋の道は 遥かなり

 某テレビの取材の下見がありました。

なんでも高井家の昔の蕎麦屋時代の話を聞きたいとのこと。

江戸時代からの「栗山蕎麦 高井屋」のことですね。

江戸時代の写真や記録はありませんが、明治以降の文献などに登場する話をしました。

当人は無頓着なので、ほとんどはお客様が教えてくださったり、コピーをくださったりしたものですが、読み返してみると畏れ多い評判だったようで…

大正の田山花袋の書いた記事に

「入町にある高井屋の蕎麦で、栗山蕎麦といって昔から有名だが…(中略)、ここで3、40分待って、山内流に打って貰うと、何処に行って食った蕎麦より旨い。東京で名物の蕎麦は無論の事、信州更科でも、野尻でも、戸隠でも、何処の蕎麦でも此処には及ばない…」

とあるそうです。

こんなことを読んだら、もう怖くて恐ろしくておいそれとは真似事の蕎麦打ちなど宣伝できないよ、と九代目は言います。

そんなわけで、今は細々と、悶々と、悩みながらそばを打っているわけですが、きっと収録され放映されたりしたら、期待されちゃうだろうなぁ…。

今でも時々蕎麦好きな方が訪ねていらっしゃることも。

蕎麦包丁だけは100年以上前の立派なものを使っているんですけど、軽々しく昔話できませんよね。

播磨屋の初代中村吉右衛門が日光を訪れ、高井屋の蕎麦を食べたくて残した一首「夏草のそば屋の道を尋ねけり」に答えられるでしょうか。



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