暮れとは思えないぐらい暖かい朝です。高井家でも新年の準備が大体整いました。庭の敷き松葉、蹲と井戸の青竹だけですっかり新年らしく。松飾り、注連飾りも首尾よく完了。
こうして、毎年毎年、同じことを繰り返しながら、年のあらたまる手続きを踏んでいくと、メビウスの輪のように終わりのない永遠の時の流れの中にいることに気づかされます。
「去年今年貫く棒のごときもの」…と詠んだのは高浜虚子でしたっけ。うまいこと言うなぁ。でも高井家の場合。やはりぐるっと目がまわるうちに年が明けている、という情けなさです。
暮れとは思えないぐらい暖かい朝です。高井家でも新年の準備が大体整いました。庭の敷き松葉、蹲と井戸の青竹だけですっかり新年らしく。松飾り、注連飾りも首尾よく完了。
こうして、毎年毎年、同じことを繰り返しながら、年のあらたまる手続きを踏んでいくと、メビウスの輪のように終わりのない永遠の時の流れの中にいることに気づかされます。
「去年今年貫く棒のごときもの」…と詠んだのは高浜虚子でしたっけ。うまいこと言うなぁ。でも高井家の場合。やはりぐるっと目がまわるうちに年が明けている、という情けなさです。
今日は二荒山神社で、古神札焼納祭が執り行われました。一年間、家運をお守りくださったお札やしめ縄などをお焚きあげにする儀式です。高井家でも、数々のお札と共に、大きな達磨さんに目を入れて、一年間の無病息災に感謝して納めました。
今日の日光はおだやかな天気で、宮司様をはじめ神主さんたちが勢ぞろいして祝詞をあげる光景は、「神聖で美しい日本のかたち」をまさに体現しているようです。
あと何日か後には、この境内も初詣の参拝客で賑わうのが信じられないくらい静かなおごそかな午後でした。
輪王寺のお昼の鐘がゴーン。おおっ!クリスマスからもうお正月?いえ、じつはこれは先日高井家で行われた結婚式の時の広間です。「寿」の掛け軸は、昔の輪王寺さんの御門主様の墨蹟ですが、堂々として素晴らしい迫力。おめでたい気がみなぎっています。
息子が幼稚園の頃、この字を見て、「今日のお客さんは寿司なの?」と聞きましたっけ(笑)。
今回は、夫婦座布団も新調いたしました。女房と何とかは…じゃありませんが、新しい、というのはいいもんですな~。若いお二人の前途に幸多かれ、とお祈り申しあげます。
夕方の4時半。大谷川畔神橋付近。寒そうです。冬至10日前から日が伸びる、といいますが、なんだか暗いです。まるで世相のような…
国道120号、日光から群馬県沼田に抜ける金精道路が12月25日正午より、冬季閉鎖となる看板です。来年の4月の末ごろまで、雪に閉ざされるわけですが、こうしていざ通行止めになってしまうと、やはり日光は雪国なんだなぁ、と実感しますね。
トナカイさん、ロマンチック街道は通れませんよ。
暖かい春が来るのが、本当に待ち遠しい。というか、そんな日があったなんて…く~、思い出せないぐらい、寒いっす。
本当に飛ぶように早く時がたちます。二社一寺のすす払いも終わりました。毎年12月13日までに新年の手配を終えるために、この時期は一日30時間ぐらい欲しい!正月飾り、庭の青竹、敷松葉、お年賀注文、初釜準備、沢庵漬け、年賀状書き、おせち仕込み…あ~、目がまわる。
目がまわると、おなかが空くのでおやつにしましょうとお芋をふかしました。すると、あれ?尻尾の生えたお芋が!あんまりかわいいので食べずにお皿の上に載せておいたら、九代目がこの忙しいのに耳を作ってくっつけてくれました。これじゃあ、よけいに食べられなくなっちゃうではないかー。
来年は、いよいよネズミ年。なんだかもっとせわしそうですね。
ご無沙汰いたしました。いつのまにかすっかり冬になってしまいました。今年は珍しく、日光でもかすかに、ところどころ紅葉が残っています。そこへ先日はアラレが降りまして…美しいけれど寒い。寒いけれど美しい。本当に、雪やこんこ、アラレやこんこ、の歌のとおりの音がしたのにはびっくりです。
今日は、私の友人のお誕生日。ちょうど今日から5年前、シャンパンで乾杯したソウルの夜は、耳がとれそうなくらい寒かったのを思い出しました。あの頃私たちは、日光の国際化について熱い夢を語り合っていましたっけ。
あー、こうして時が過ぎていくのだなぁ…いや、正確には、こうして歳をとってゆくのだなぁ…