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2022-10-16

2022/10/16 キスゲ平園地の雲海

 日光市霧降高原のキスゲ平園地(高井家から車で20分ほどの所にあります)。今朝はすばらしい雲海が広がっておりました。1445段の階段を登り切ると、天気が良ければ、このように朝日とともに、雲を上から見下ろす事ができます。

Kisugedaira Park in Kirifuri Highland, Nikko.(Located about 20 minutes by car from Takaiya) This morning there was a wonderful sea of clouds. Climbing up the 1445 steps, if the weather is good, you can look down on the clouds from above with the morning sun.

Kisugedaira Park dans le Kirifuri Highland, Nikko.(Situé à environ 20 minutes en voiture de Takaiya) Ce matin, il y avait une merveilleuse mer de nuages. En montant les 1445 marches, si le temps est bon, vous pouvez regarder les nuages d'en haut avec le soleil du matin.

#日光 #霧降高原 #キスゲ平園地 #キスゲ平 #nikko #kirifurihighland #kisugedaira #雲海 #seaofclouds

2022-07-31

2022/7/31(Sun) SL大樹ふたらの夏祭り

東武日光駅にて、復元作業が完了したC11 123号機の運転開始イベントがあり、出かけてきました。停車中のSLに乗車できたり、和楽踊りのお囃子を聞けたりと、賑やかな催しでした。8月10日にはSL大樹運行開始5周年を迎えるとのこと。

高井家からも大樹の汽笛が聞こえると、嬉しい気持ちになります。

2022-05-30

2022/5/28(Sat) 日光火之番八王子千人同心顕彰の燈

 日光の表参道と中山通りの角に、日光火之番八王子千人同心顕彰之燈 が建っています。承応元年(1652)に幕府より日光火之番を命じられた武州八王子の千人同心は、明治元年(1868)まで江戸期の長い間、遠い八王子から日光を火災から守り抜いた。この功績を伝えるため昭和33年に建立。今の日光があるのは彼らのおかげなのですね。

2022-04-16

2022/4/16(Sat) ほんいちの花屋体

 4月17日は、日光二荒山神社の弥生祭。

写真は、ほんいち(本町一丁目、いまの下本町)の花屋体。旧日光の市制施行の記念式典と祝賀行事の表示があるので、昭和29年の写真でしょうか?同年から、旧日光市の市制施行を記念して、16日に前夜祭を行うようになったということです。

ほんいちの花屋体は20年ほど前から休止するようになってしまいましたが、昔の写真から日光の本格的な春を告げる一大イベントであったと感じられます。

17 April is the day of Yayoi Festival of Nikko Futarasan Shrine.

Photos show Yatai float of Shitahoncho, the block where Takaiya is located. This photo was probably  taken in 1954. The Yayoi Festival has long been a major event heralding the arrival of full-blown spring in Nikko for decades.

Le 17 avril est le jour du festival Yayoi du sanctuaire Futarasan de Nikko.

Les photos montrent le char Yatai de Shitahoncho, le quartier où se trouve Takaiya. Cette photo a probablement été prise en 1954. Depuis des décennies, le festival Yayoi est un événement majeur qui annonce l'arrivée du printemps à Nikko.

#日光 #日光高井家 #高井家 #nikko #nikkotakaiya #takaiya #nikkojapan #弥生祭 #yayoifestival #日光二荒山神社 #nikkofutarasanshrine




2022-02-26

2022/2/26(Sat) 新型車両展示会@JR日光駅

新型車両E131系の車両展示会へ、JR日光駅へ!日光線では、来る3/12のダイヤより、この新車両の運行が開始されるとのこと。楽しみです。

本日10:30からエレベーターの使用も開始ということで、早速試乗させていただきました。素敵な色でとても日光駅らしい!地元の子どもたちによるテープカット、くす玉割りセレモニーもありました。歴史的な記念日に見学できてたいへん嬉しいです。



2022-01-30

2022/1/30(Sun) 落合源七・巴快寛顕彰牌

明治生まれの六代目、祥太郎の日記1966年(昭和41年)12月21日「11時より落合・巴 維新の日光の功労者の牌 公会堂前に立つ 除幕式あり参列する」

日光総合会館(旧公会堂)わきに建つ落合源七・巴快寛顕彰牌。

明治になり発令された神仏分離。神仏習合の日光山においてこれを完全に実施すると、堂塔の破壊や移転により景観が損なわれるとして、現状維持を訴える町民運動が起こった。町民代表の落合、巴が運動の中心となり、明治九年の明治天皇の奥羽御巡幸の際には、明治天皇に景観の保存を直訴した。こうした町民と二人の尽力により、今の日光の美観が保たれたという。その顕彰牌が昭和41年に建立された。

先人の決死の訴えがあり今の日光の景観があるのですね。



2022-01-13

2022/1/13(Thu) 初市のだるまさん

昨日は、日光で初市があり、年神様(市神神社)にお参りをして達磨を買いました。おやつに大判焼きもゲット。

高井家では、達磨の目は最初から両方入れています。



2021-12-21

2021/12/21(Tue) 本町の新しい公園

 

今年の夏、高井家からあるいてすぐに新しい公園ができました。日当たりがよく、お散歩がてら一休みするのにぴったりのスポットです。小道を通り、消防第2分団のほうへ抜けられるようになっています。

ここにはかつて母子センターがあり、20年頃前まで、下本町の弥生祭のお囃子の練習場所でした。

2021-11-23

2021/11/23(Tue) 青龍さん、沼尻さんの御供当番

青龍神社の御供箱です。青龍神社は、弘仁年中の820年ごろ、弘法大師が日光に来た際に、弟子が京都の青龍神を移し祀ったのが始まりといわれています。本町の氏神様で、祈晴の神様でもあり、東照宮、二荒山神社の例大祭の際には晴天を願って祈晴祭りがおこなわれています。下本町では、各世帯が当番制で、青龍神社と沼尻観音様をお参りしています。(下本町はかつて、本町一丁目でした)


2021-11-17

2021/11/17(Wed) SL観光アテンダントと行く!日光まち歩きツアーに参加しました。

先日、日光市観光協会主催の、

「SL観光アテンダントと行く!日光まちあるきツアー」

(http://www.nikko-kankou.org/event/1343/)

に参加させていただきました。

東武日光駅にてSL大樹ふたらのお出迎え、JR日光駅のホワイトルーム、跨線橋、杉並木街道、東武日光駅前、星座・街路灯、石屋町街区公園屋体、稲荷神社・高田家・虚空蔵尊、岸野家のヒメコマツ、日光郷土センターmekke見学…と充実した内容を、SL観光アテンダントの皆様に丁寧に教えていただきました。日光に生まれながらにして初めて訪れる場所もあり、学びが多かったです。アテンダントの皆様に感謝。

弥生祭の体、昔は人力でかついでいたとのこと。その後、家で「車輪付き花屋台の誕生」(この本では屋台)という気になる本を発見し、興味深く読み進めております。下本町の体は、過疎により付祭りに参加できなくなって久しいです。


今度は桜の季節に稲荷町周辺を散策してみたいと思っております。


2021-11-03

2021/11/3(Wed) 紅葉狩りさんぽ その2…

高井家から徒歩圏内の、西町の紅葉のようす、つづきです。(2021/11/3撮影) 

田母沢御用邸①

田母沢御用邸②

田母沢御用邸③

田母沢御用邸④

田母沢公園
  
高井家の駐車場

高井家の庭

2021/11/3(Wed) 紅葉狩りさんぽ その1…

高井家から徒歩圏内の、日光西町の紅葉のようすです。(2021/11/3撮影)
今年の秋はぽかぽかとした晴れの日が多く、お散歩に適していて、紅葉も見ごろを迎えていました。

浄光寺

浄光寺から含満ヶ淵(憾満ヶ淵)のほうへ①

浄光寺から含満ヶ淵(憾満ヶ淵)のほうへ②

ストーンパーク~含満ヶ淵

ストーンパーク~含満ヶ淵

ストーンパーク~含満ヶ淵

ストーンパーク~含満ヶ淵

途中、含満の茶屋さんで一休み

2008-06-08

2008/6/8(Sun) 中庭に 緑と白の 風渡る

今、田母沢の御用邸は緑が霧雨で美しい季節です。表に広がる庭園も手入れが行き届いて素晴らしい眺めですが、このような中庭もまた見事です。

どの部屋からも、緑が見え、またデザインされた白砂も映えて、邸内を吹き抜ける風もまことに爽やか。午後の遅い時間にお邪魔すると比較的すいていて、ゆっくり拝見することが出来ます。ところどころ建物の下をくぐり中庭に通じる石段は、庭師さんが手入れをするための通路だそうです。長靴をはいたまま縁側でお茶を飲む高井家と違って、思わず頭が下がりました。



2006-12-25

2006/12/25(Mon) 口ずさめば 思い出したる クリスマスキャロル

23日は本町にある真光教会、ジェームズ・ガーディナーさんのの協会で、賛美歌を歌う集いがありました。仏教徒の私ですが、クリスチャンの方達に混じって聖夜の雰囲気を、と軽い気持ちで参加したところ…2時間しっかり賛美歌と司祭さんのお話。キャンドルの灯りの中で行われた静かな静かな祈りの時間でした。

いつもの見慣れた近所の教会も、その晩はどことなく秘密のたたずまい。帰り道はひとりしみじみと師走の冷気を楽しみながら帰りました。

グリーン・スリーブスのメロディがいつまでも耳に…若い頃ジャズ喫茶で聴いた孤独な夜をつい思い出してしまいました。



2006-10-26

2006/10/26(Thu) 日足伸ぶ 午後の畳の 目を数え

 秋の含満ヶ淵(憾満ヶ淵)へ行く途中で、畳屋さんの前を通りかかりました。かわいい~!ちっこくていろいろな形の畳。う~む、考えましたなー。

この近くには、外国人に人気のホテルがあります。きっとこの道を歩きながら、「オー、タタミマット!」と言うかどうかわかりませんが、こんな小さな畳でもれっきとした和の世界。きっとよいおみやげになるでしょう。マイスター高畑畳店えらい、バンザイ!

昔、秋も深まってくると窓からさしてくる日足が、日ごと伸びてくるのを、畳の目を数えながら実感しましたっけ。あの午後の暖かさまで思い出します。



2006-07-28

2006/7/28(Fri) 梅雨空を はらうがごとく 日光城

 青空を仰ぐ堂々たる日光城。じゃなかった、じつはこれは日光市役所(日光総合支所)の庁舎です。明治38年に国会議員小林庄一郎氏がホテル経営を目指して建設しました。その名も「大名ホテル」。当時では35万円の大金と15年の歳月を掛けて完成しましたが、ついに開業することなく、後に古河電工、進駐軍、再び電工の所有となり、昭和24年に日光町に寄付されました。

日本で最古の市庁舎と言われ、私たち日光市民の自慢の役場です。作った人もお大尽だし、寄付した電工もえらい。昔の日光はスケールが大きかったんですね!



2006-06-29

2006/6/29(Thu) 暑気払い 龍の手水の ひとにらみ

もう梅雨明け?と思うほど急に夏らしい日々が続いております。犬のラッキー君も水遊びが楽しみな季節です。さて、大工町にある浄光寺さんの山門の前には蹲があって、青銅の立派な龍が睨みをきかせています。お参りや散歩の途中で思わず冷たいお水をいただこうとすると、ぎょろりとした目玉で何か叱られそうな気分。きっと日頃の不信心を見透かされているような気がするのかもしれません。

でも、こうして写真で見るとユーモラス。まるで暑さにまいった龍さんが反対に水を吸い上げているように見えます。それにしても見事な龍ですね。いつごろの時代のものなのでしょうか…



2006-06-21

2006/6/21(Wed) 大石に 彫らるる遺産に 郭公の声

 日光市内の国道を上がってまいりまして、神橋のとなりの日光橋を渡ると、つきあたりの石段にこの大きな世界遺産の碑が見えます。神橋見物の賑わいを聞きながら、近頃この石碑の前で記念撮影をする人が絶えません。元栃木県知事の渡辺さんの揮毫で「日光の社寺」と刻まれています。本当にいつ見ても外国人が写真を撮っている…やはり世界遺産効果は大きいですね。

この間、梅雨の中にもかかわらず郭公が来て日光の風光明媚を誉め讃えておりました。「ニッコー、カッコー、ニッコー、結構!」??…いやはや出来すぎた話ですが…そこが日光の魅力ですなあ。じつに。



2006-06-06

2006/6/6(Tue) 時を経て 今も明治の サムライハウス

本町の国道沿いに古い一軒の日本家屋があります。竹垣の中の風情ある庭園と山の水が落ちる滝の音。木造2階建てのその家こそ金谷ホテル発祥の地となった「金谷カッテージ・イン」サムライハウスです。江戸時代に武家の屋敷として建てられ、明治の頃日光を訪れた外国人のために宿として提供したのが金谷ホテルの創始者、金谷善一郎さんでした。

イギリス人の女性探検家イザベラ・バードはその紀行文の中でこの家を「目を楽しませないものはひとつとしてない」というくらい絶賛しています。内部は外国人たちを受け入れた当時のままに保存され、明治の頃の日光の空気が今でも漂っているかのようです。日光はなにげなく歴史が身近なところがすごいですね。



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