明治生まれの六代目、祥太郎の日記、昭和43年(1968年)
2月18日
「今朝の新聞と東武鉄道のチラシによると日光軌道電車も愈々2月24日で廃止と報じている
明治41年9月18日日光電気軌道株式会社発足
同43年8月10日日光駅-鼻の岩間7.4キロ開通
大正2年10月15日日光駅-馬返間9.6キロ開通
昭和3年10月東武鉄道系列入り
昭和22年5月東武に合併、東武鉄道日光気軌道線となる
58年の歴史に終止符を打つわけ、感無量
祐之が小さい頃、アンコヤ前と電車遊びをしていたことが思い出される
今は亡き祐之とこれからなくなる電車とを想起して ...」
祥太郎の長男、祐之は、内地に帰還後、昭和22年に亡くなっており、日記には思い出とともに日光軌道がなくなる無常がしみじみと記してあります。アンコヤってどこでしょう?
2月23、24日には最後の行事として花電車が運行され、孫たちが乗ってカラー写真を撮ってきたことが書いてあります。これがその「孫」(九代目)が、撮ってきた「カラー写真」、54年前ですネ。