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2006-04-24

2006/4/24(Mon) 日を限り 願掛けたしや 馬鹿な私

今日24日は還元山浄光寺の日限地蔵尊の大縁日です。このお地蔵様は期限付きで(つまり何月何日までに)合格・病気平癒などいろいろ祈願し、毎月24日は信者さんが遠方からもお礼参りをするという大変霊験あらたかなお地蔵様です。うちの子供も毎度お世話になりました。

実は、私は今日超ショックなことがありました。デジカメをメモリーごとゴミに出してしまったようなのです。バックアップが…さっそく日限様に行きました。これは違うカメラで撮りましたが、よく考えたら「馬鹿は死んでも治らない」ということは、いくら願をかけても無期限のものは無理だということですね。トホホ…



2006-04-04

2006/4/4(Tue) お馬車行く 近衛隊列 御用邸正門通り

日光田母沢御用邸正門です。皆さんが国道から入られるのは本来は通用門。高井家のある通りは今でこそ裏通りになってしまいましたが、もとは本町通りといって御用邸に通じるメイン・ストリートで、大正天皇の行幸啓の折には日光で一番間近に行列を見られる幅員の狭い沿道でした。

今の石田屋さん(日光甚五郎煎餅本店)の前は急勾配の坂だった為、いっせいに騎馬に拍車がかかると、蹄の音も高く、たてがみは風になびき、朱色に菊の御紋章も鮮やかに天皇旗は翻り、それは最高のドラマであったと聞きます。

今、御用邸正門通りをもう少し見直そうという声が地元の女性たちから上がり始めました。



2006-02-14

2006/2/14(tue) オールド日光ラヴストーリー

ヴァレンタインデーです。今日は明治時代日光の大ロマンス物語のご紹介。高井家の近所にあるこの建物は、1914年(大正3年)に建てられた日光真光教会です。設計者のジェームズ・ガーディナーは明治時代に立教学校(立教大学の前身)の校長で宣教師でしたが、妻フローレンスのすすめで日光を愛するようになり、教会だけでなく山内に別荘も建て日光の素晴らしさを知人や外国の人々に伝えました。

教会の下にはガーディナー夫妻の遺骨が並んで埋葬され、床のプレートには先に逝ったジェームズの愛の言葉が刻まれています。"NOT DEAD BUT LIVING UNTO THEE"「汝の御前に私は今も生きている」。素敵ですね。お二人で訪ねてみてください。



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