いつもはつぼみのうちに古銅などにかしこまって入れる牡丹。
あんまり見事に開いたので、ドサッと青い染付の古い壺に入れてみたら…。
貫禄ですねー。
やはり、花の女王と言われるだけあって華やかです。
ちなみにこの壺、大女将が梅干を入れていたものでした!
いつもはつぼみのうちに古銅などにかしこまって入れる牡丹。
あんまり見事に開いたので、ドサッと青い染付の古い壺に入れてみたら…。
貫禄ですねー。
やはり、花の女王と言われるだけあって華やかです。
ちなみにこの壺、大女将が梅干を入れていたものでした!
この白い地球儀は、茶道で使う水指です。
先日、金谷ホテル歴史館のオープンの添え釜のお手伝いをした時に、お道具をいろいろ考えました。
プレオープンの日、ヘボン博士に関する大西教授の講演を聞いて、幕末に海を越えてはるばる日本に来たアメリカ人宣教師のご苦労から、ヒントを得て、選びました。
実は、この地球儀は今年の勅題の茶道具のひとつで、「本」の字に日本をあてて地球儀にした面白いものです。
ヘボン博士の助言で、日本で最初に外国人のための宿を開いた金谷ホテルは、日本のホスピタリティーの原点。
私たちは子供の時から日本が真ん中に位置する世界地図で教育を受けてきましたが、こうして改めて地球を見ると、アジア大陸の端っこにちょこんとくっついています。
水指の正面を日本にすると、お客様から見えるのは広い海。
よくまあ、あの時代にこの太平洋を越えて・・・。
日本のかたちをしみじみ眺めながらお茶をたてました。
4月8日。花まつり。お釈迦様の誕生日です。
2階の広間に掛けてあるこの書は、大正十一年四月八日に
会津の衆議院議員中野寅吉先生の筆になります。
いつもお客様に聞かれて、なんとなく解説は出来ましたが、正確な読みはできなくて困っていたところ、ご祝儀でご来店された学芸員の方が詳しい解読をしてくださいました。
「礼讃
栗山蕎麦
苦離山の
楚婆(そば)と聞くさえ
嬉しきに
名も高井屋に
法華経の声
(以下、漢文と思われます)
時に大正十一年(一九二二)四月八日
釈尊降誕の佳辰なり。
予と愚息一郎日光東照宮廟に
詣で、帰途高井屋に少憩す。
偶(たまたま)黄鳥(※)
一囀(いってん)、渓谷を起こす。すなわち
この作あり。
会津選出衆議院議員
中野寅吉識(印)」
そして、さらにわかりやすく、現代文も送ってくださいました。
「(解説)
会津の衆院議員中野寅吉が子息一郎と高井屋(家)に立ち寄り、書いた書です。 ちょうど四月八日という釈迦の誕生日にちなみ、栗山を『苦離山(苦が離れる山)』、ウグイスの鳴き声を法華経にたとえたりしています。」
と教えてくださいました。
当時、栗山蕎麦の看板を掲げて蕎麦屋を商っていた高井屋(当時の屋号)には、多くの文人墨客が訪れましたが、店主はこの書をとても大切にして額装したそうです。
今年の4月8日は時ならぬ雪。
昨日まで鳴いていた鶯も静かです。
毎年、この日になると庭の梅の木に来た鶯の声を聞きながら、
まったく同じ情景に胸を打たれていました。
時代は変わっても、変わらぬお客様の粋なはからい。
誠にありがとうございます。
これから毎年、花まつりに鶯の声を聞くたび感謝申し上げます。
強飯式の掛け軸の続きです。
奈良時代に勝道上人が日光山を開いて盛んになった山伏の修行。
御本尊のお供えを人々に分かち与えたことが起源と伝えられています。
三升の山盛りご飯を「七十五杯残さず頂戴しろ!」と責めながら差し出す山伏に、裃姿の頂戴人は頭を下げて、そのご飯を高くおしいただく姿は迫力満点。
実は、この椀はすごく重い上に、口上が長く続くのでますます重くなり、腕が大変。
九代目も何年か前頂戴人を努めました。
先代から、亡くなる前に内緒で、
「ご飯を掲げながら肘を畳につければ楽だぞ」
と聞いていたので大丈夫だったそうです。
しかし、お腹がつかえて前に伏せることができない人はどうだったのでしょうか。
やはり、何事も腹八分目ですね。
強飯式が終わると、さあ、これで日光にも本当の春が来ます。
4月2日。輪王寺さんで強飯の儀が執り行われました。
これは高井家に伝わる慶応四年の掛け軸。
この儀式の絵の上に、口上が書かれています。
戊辰二月とありますね。
そうかー。
明治維新の年ですね。
戊辰戦争では、日光が旧幕府軍対新政府軍の戦火の危機にあったのはたしか四月頃。
とすると、その直前の二月にこの軸が書かれたのですね。
まさに江戸と明治の境目の日光山。
毎年、この軸をかける度、歴史がリアルに感じられます。
これはイワナの模型。
ガラスの器、水紋の渦ではねてます。
九代目の引きこもり部屋、音楽室の窓辺に置いてあります。
庭の池の上にも細かい虫がたくさん飛んでいます。
「これが出る頃、魚も出るんだよなぁ~。」
レコードを聞きながら、彼は大谷川解禁を目前にソワソワしております。
1月8日。
日光ロータリークラブ新年会。
今年も輪王寺さんの偉いお坊さんの書「寿」をかけて高井家が始動しました。
毎年、仕出しやお出前はお正月早々あるのですが、本格的なお座敷はこの新年会です。
長男太郎が小さい時この掛け軸を見て、「今日のお客さんはお寿司なの?」と言ったことを思い出します。
パワーあふれる書です。
雪が溶けたと思ったら、ポカポカ陽射し。
本当に暑さ寒さも彼岸まで、でした!
高井家の庭の一番乗り。今年は水芭蕉でした。
ザゼンソウは早くに咲いて、寒さの中で縮んで水没しています。
奥のお座敷の火鉢にそっと置くと、そこだけ春が来たようなほの明るさが。
この火鉢は先代が大事にしていたもので、昔はこの引き出しに海苔を入れておくと湿気ないでパリッとしたとか。
そして一本つけて、海苔を肴にチビチビやったのでしょうか…。
1月は新年会、初釜と寒い中にもお座敷が続き、寿の掛け軸も大活躍でした。
こうして、お客様のご要望で昔ながらの宴会のしつらいにしましたが、やはり純日本スタイルも情緒があっていいなー。
畳の生活がいかに非日常になってしまったか、とあらためて感じました。
窓際の座布団がないのは、縁側で日向ぼっこで膨らませているからです。
中川一政先生の版画です。
「雪消馬蹄軽・・・」と馬に乗った武将が弓を引いて、今こそ鷹を射んとしています。
午年にちなんで掛けてくださったのですか?と聞かれて恐縮。
実は年中です。
奥の部屋に行く廊下の突き当たりにいつもかけてあります。
外は夏の陽射しでも、一歩家の中に入るとひんやり。
夕暮れともなれば蝉しぐれ。
これが日光の醍醐味。
冬もそれなりに(寒くても…笑)素敵なのですが、夏の日光は、一瞬一瞬を切り取って永久にしまっておきたいような美しさにあふれています。
さあ、今夜は何を飲もうかな。
夏の夕暮れ。お客様をお迎えする直前の高井家の玄関。
昼の太陽の熱の名残と、これから始まる宵の宴のひそやかさ。華やぎと緊張が微妙に交錯するひとときです。
何代もこうして毎日新しい高井家のページをめくり続けてきたのだと思うと身が引き締まります。
聖徳太子の掛け軸にお燈明。お線香。お供え餅。お酒。御供物。
お客様のご持参品です。
西町太子講の集まりがありました。
太子像は古くから伝わる江戸・明治のものだそうです。
大工さん、畳屋さん、左官屋さん、建具やさんなどの職人さんたちの講で、本当に久々に集まったそうです。
日光自慢のマイスター達です。
久しぶりに高井家のお座敷に芸者さんが上がりました。
お酌さんは最近はコンパニオンさんが多いのですが、昔ならした旦那衆の集まりで、鬼怒川の芸妓さんがよばれ、をどりを楽しませてくれました。
「おどり」ではなく「をどり」。
なんだか懐かしい日本の宴会!いいですねー。
ずいぶん長いことご無沙汰してしまいました。
10月、11月の紅葉のシーズンは毎年アッというまに月日が流れて…。
今年の秋は急に冷え込んだので、赤い色の紅葉がきれいでした。
東照宮の秋の大祭。輪王寺本坊での観楓会。行事が続き、そして日光名物国道の渋滞(?)。
でも、高井家のお座敷はいつもどおりの静けさが漂っています。
10月の初めに結納式がありました。
最近ではお客様も略式で結納飾りもあまりしませんが、シンプルな関東式とはいえ、こうして準備するとあらたまった厳粛な気持ちになりますね。
出会いを結び納める。日本の伝統的な儀式が今も受け継がれていくためには、大人が子供に伝えていかなくてはいけないのかもしれません。
親もいくつになっても学ぶことばかりです。
芸術家が壁画アートを描いてるのではありません!左官屋さんが2階の大広間の壁の大修復を始めたところ。
去年の大震災の時に壁に亀裂が入りました。その後、余震のたびに少しずつ大きくなって、いつ崩れるかと毎日ヒヤヒヤ。いよいよ工事になりました。
昭和3年築のお座敷ですから、ちょうど今年で84歳。よくもったなー。お疲れ様。
京壁をはがすと下地が…。けっこう分厚くて大変な重さでした。
ホコリがたたないように。床の間を傷つけないように。細心の注意を払って職人さんが頑張ってくれています。
下地、下塗り。まだ、最終工事は終わっていません。蔵もまだ完成してないし、震災の後遺症はまだまだ。
日光の我が家でもこれなのですから、東北の震源地に近いところは本当に大変でしょうね。
大晦日までおせち。元旦に大掃除。2日は初釜。3日は初参詣と御年始まわり。4日は初出前。そしてやっと5日に高井家のお座敷が始まりました。
今年の初客様は日光ロータリークラブ様の新年例会です!
2階の広間もお正月飾りに椅子席。和室で洋風。和食にワイン。これもまたなかなかおつなものですね。